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メモ

印象に残った文章を記しておく。

日常生活は、意外に細々としたスケジュールに区切られていて、雑念が入らないようになっている。チャイムが鳴り、移動する。バスに乗り、降りる。歯を磨く。食事をする。どれも慣れてしまえば、深く考えることなく反射的にできる。
むしろ、長時間連続して思考し続ける機会を、意識的に排除するようになっているのだろう。そうでないと、己の生活に疑問を感じてしまうし、いったん疑問を感じたら人は前に進めない。だから、時間を細切れにして、さまざまな儀式を詰め込んでおくのだ。そうすれば、常に意識は小刻みに切り替えられて、無駄な思考の入り込む隙間がなくなる。(恩田陸夜のピクニック』より)

どんな思考も個人の変化・成長の糧となるはずだから、「無駄な思考」というものは個人レベルでは存在しない、おそらく。
あるとすれば、社会レベル。特に資本主義社会では「前に進めない」ことは衰退あるいは崩壊につながる。だから考えさせないシステムが必要になるのだろう。


現在読んでいる本から ─ Hello,Again 2006/2/3