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セカイカメラ

 ソーシャルブックマークのサービス(はてなブックマーク含む)があちこちで提供され始めた頃、「タグ付け」についての懸念をいくつか見かけたことがある。ブックマークされた記事をタグによってカテゴリー分類することは、同じようなテーマで書かれた異なる人の多数の記事を素早く総覧できるという点で情報整理上のメリットがあるが、一方ではタグによる認識が一人歩きして「これはそういう方向の記事なのね」という先入見が働き、記事そのものの文脈的意図の読解がタグ経由の先入見によって左右されてしまうのではないか……といった感じだったように思う。細かいところまでは覚えてないけど。

 これと似たような理由で、東映白倉伸一郎プロデューサーは『仮面ライダーアギト』以降自分の手がけてきた平成仮面ライダーシリーズで、しばらくの間各話のサブタイトルをあえて付けていなかった。サブタイトルが付いていると視聴者はついついそのタイトルに沿った見方で番組を見るよう無意識に“誘導”されてしまいがちだが、ドラマは人によってもっといろんな見方がされていいものであり、特定の「見るべきポイント」に集中するような見方を視聴者に強制したくはなかったという趣旨だったらしい。観た後にどんな感想を持ってもそれは自由だけど、あらかじめ先入見をもって観方を狭めることなしに、まずはドラマを全体として見てほしい……というのが、サブタイトル廃止の狙いだったようだ。ただし、同じ白倉Pが手がけた2007年の『電王』と2009年の『ディケイド』ではまたサブタイトルが復活していた。これが果たして白倉氏の宗旨替えを表したものなのかどうかについては知らない。

 さて、以前「セカイカメラ」というサービスが話題になっていたことがある。現実の風景を写し出しているライブ映像に、その場所に紐付られたタグ情報をサーバから引っ張り出して画面上に合わせて表示することで、カメラ越しに風景を見ると現実そのものにみんながタグを貼りまくっているように見えるというものだ。この話を聞いた時に思い出したのが上記のSBMタグと仮面ライダーのサブタイトルのことだったのだが、これはいずれも、複雑で多義的な意味を持ち得る世界をある特定の意味分節に沿ってカテゴライズすることに対する“畏怖”の感覚に根ざしたものであったように思う。