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時間

いつだったか、「アルバイトをしてもしても服を買うお金が足りない」とこぼす学生に、「学生なんだから、服なんて清潔なものを着ておげはいいんじゃない?」と言ったら、思い詰めたような顔をして「かわいらしい服はいましか着られない」とポツリと答えた。なんでもない会話の一言だったけど、忘れられない言葉でもある。……


宿題 ─ 小さな哲学〜雑想の世界 2009/11/14

 時間という絶対的な存在条件の下に生まれて死んでいく人間も、その時間という条件を享受することの“意味”は人によってさまざまだ。例えそれが刹那的な快楽であったり儚い喜びであったとしても、それを否定することが、果たして同じ存在条件の下に生まれ死んでいく人間に出来るのか。
 外在的なテクスト等を通じて無時間的・超時間的な認識を得た人間も、それを現実に無時間的・超時間的に享受することはできない(そのためには人間自身が永遠に生きられなければならない)。我々は人間を集合的あるいは類的存在と見なすことで、認識の無時間的・超時間的な享受を擬似的に可能としているが、永遠に生きることの出来ない個々の人間の人生そのものにまでそれは果たして適用できるのか。無時間的なイデアとの共存と対決の歴史が始まって以来、人間はこの問いから離れることが出来ずにいる。