残るもの
1986年刊行。 古いっちゃあ古い。 インターネットなんて、まだ誰も知らないころの話。
インターネットなんてないけど、それでも、新しい世代は、目に見えないネットワークを構築して、目に見えない何かを確実に捕まえて、時代を変えていくのだろう。 そんなことが、信じられていた、信じようとしていた。 そんな時代に書かれた物語。
(略)
目に見えない何かで繋がることを巡る物語。 繋がることを、「新しいリアル」を感じ、信じ、それを生きることを巡る物語。
ただノスタルジーを感じるだけかよ。 と思ったが、意外にそんなことはなかったな。
いや、一日に、何ギガ何テラって情報が書き加えられ、アップロードされてる今だからこそ。
いつか訪れる「王」のため、自分のすべてを「賢者の石」に記述しようと試みる子供達の姿は、切なくて、リアルに感じられるんじゃないかな? って思う。賢者の石を今夜中に書き上げよう。そうすれば、僕が死んでも誰かが憶えていてくれる。
ワスレナイデ ハーフライフ
ネットワークの彼方に永続する何かを求め、自分の痕跡をそこに残そうとする心性。
「賢者の石」の記述が「私は○○です」という属性記述の形を取っていたことにも注目すべきなのだろう。今様に言えば“タグ”を付ける行為に相当するのかもしれない。自分について残るもの、遺されるものは属性としての情報、言い換えれば墓碑銘のようなものであるが、墓碑銘は文脈を伴った“全体”ではない。