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SF的な風景

日頃の携帯電話の使い方や電話会社、 電機メーカーの実情を物語にして 「2001年普通の日々」と銘打って、 1960年代のSF雑誌に投稿したら、SFとして受け入れてくれるだろうか。 街角で携帯でなにげなく会話している姿って、 高度成長期のSFマンガとかに出てきそうな気がする。


あらきけいすけの研究日誌 2001/10/26

 ケータイは多機能情報端末としてますますSFじみた方向に発達していますね(“ガラパゴス化”なんて言われることもありますが)。
 ただ、これはケータイに限った話ではないのですが、不特定多数対不特定多数での情報交換・コミュニケーションが当たり前のようになることによって人心がどう変容していくのかという方向に想像力を巡らせることは、半世紀前にはなかなか出来ないことだったかもしれません。技術的な発達の予見よりも、その技術の普及によって社会やそこに生きる人々の日常感覚がどのように変容していくかを見通すことのほうが、実はずっと難しいことなのではないかという気もします。半世紀前の編集者だったら技術的な話よりも案外そういう日常感覚の部分で引っかかって、「小物の描写は面白いけどなんか人物像にリアリティが欠けている」という理由でボツにしちゃうかも?