qad

坂の上のオレたち

 ついったーのほうではちょっと書いたことがあるけど、一度まとめた形でメモしておく。

 いまNHKで放送している坂の上ドラマはいろいろ制作が難航して、企画から放送開始まで8年くらいかかっているらしい。でも、結果的にはそれでよかったのかもしれないなという気がする。2000年代中盤の、夜郎自大ナショナリズムが盛り上がっていた時期に放送がぶつかったら、恐らくそちら方面の文脈に回収される形で物語が受容されていたのではないかと思うからだ。
 原作者はその近代日本観において、明治の合理的な日本*1と対比させながら日露戦以降の日本の夜郎自大視野狭窄を批判してきたが、もし放送が4〜5年くらい早かったとしたら、まさにその後者の文脈において「坂の上」が捉えられ解釈されて、“そのような物語”として流通する可能性があったのではないだろうか。恐らくその“物語”は、日本人が持ち前の才覚を生かして粉骨砕身努力し、やがて周囲の遅れた諸国を尻目に先進列強にキャッチアップして、アジアの盟主としてのし上がっていくまでのサクセスストーリー……といったような感じになっていただろう。かつて放送されていたプロXも一部では、「いかに日本人は優れており、それに比べて周囲のアジアはいかに劣っているか」という日本人の優越性を“証明”する物語として受容されていたようだし、もし「坂の上」がもっと前のタイミングで放送されていたら、恐らくそれと似た受け取り方で解釈されていたのではないだろうか。
 国家について真剣でありかつ楽天家でもある明治人は、ひたすら前を見ながら、坂をのぼりつめた先に見える輝く白い雲をひたすら見つめながら、ただ坂をのぼっていく……というのが、原作タイトルのニュアンスだった。でもナショナリズム的な受容においては、このタイトルもまた違った意味合いを含むことになっていたのかもしれない。かつて日本人は坂をのぼってきた、そしていまやオレたちはそんな坂の上にいる、どうだ三国人ども、おまえらは所詮オレたちのいるところまで上ってこれやしないのさ……みたいな感じで。

*1:この史観に対する批判ももちろん存在するが、今回はそれはさておくとして