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「枝」はだれ?


 アシモフの科学エッセイシリーズの中に、こんな下りがあったのを思い出した。

……あるとき、私の講演のあとの質問の時間に、ある青年が、科学や技術が人間の“幸福”を少しでも増大させたと本気で思っているのかと訊ねた。
「あなたは、古代ギリシアの時代に住んでも、いまと同じように幸福だと思いますか?」と私は訊ねた。
「思いますよ」彼は、きっぱりと答えた。
アテネの銀鉱の奴隷であることが、どれだけ楽しいかな?」私が微笑を浮かべて訊ねると、彼は坐って黙りこんでしまった。
 それとも、あるとき次のようにいった人物のことを考えてみよう。「召使いが簡単に見つかった100年前に住んでいたら、どんなによかったろう」
「ひどいもんだったろうよ」私は即座にいった。
「どうして?」びっくりした質問が返ってきた。
 そこで私は、しごく事務的な口調でいったのである。「われわれが、その召使いだったろうからね」


アイザック・アシモフ「逆コースめざして」、『アシモフの科学エッセイ10・存在しなかった惑星』ハヤカワ文庫、1986年、p.238-239)