qad

解釈権

 以前に『仮面ライダー剣』とタルコフスキーを絡めていろいろ書いた話から。

 これは先日タルコフスキー監督の映画『ストーカー』を観返していたので気付いたんだけど、タルさんの『ストーカー』や『惑星ソラリス』って、人間の潜在意識を読み取って何らかの形で具体化するモノが出てくるよね。『ストーカー』で言えばゾーンの奥にある“部屋”、『ソラリス』ならソラリスの海。でも、ソラリスの海は人の意識の中を勝手に読み取って強いトラウマの元になっている人物を作り出してしまうし、ゾーンの“部屋”は人間が「これが欲しい!」と意識的に願った望みを叶えるのではなく、潜在的に最も強く抱かれている想念を具体化する。主人公のストーカー仲間だった「ヤマアラシ」は、ゾーンに対して死んだ弟を返してくれと願ったのに、実際には大金が手に入ってしまった(つまり弟ではなく大金こそが潜在的に抱いていた「最も強い願い」だった)から、そんな自分の本性に絶望して自殺してしまった。


http://d.hatena.ne.jp/qad/20091026/p1

 ソラリスの海やゾーンを「内面についての解釈権を握る他者」という意味合いで捉えると、タルコフスキーが常にソ連当局の検閲に直面して四苦八苦していたらしいということと併せて、「国民の内面的属性を決定して、それにより国民の運命を左右する超越的権力」のアレゴリーであると考えることも可能になる(まあそれだけじゃないにせよ)。
 でも、このゾーン解釈から主人公のストーカーの動機を考えると、彼は結果がどうであれゾーンのもたらす救済が存在すること自体が世界にとって必要であると信じているのだから、ある意味で彼はツァーリ待望論に近い境地に位置づけられるということにもなる。はてさて。