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「悪いのは何か」……ではなく

 この問いを「嗜好の変化」か「経済的制約」かの二者択一問題に縮減して、どちらか一方に“正解”を確定してしまおうとすると、よけい話がややこしくなると思う。
 両者が互いに影響を及ぼしあって、例えば「嗜好の変化」が「経済的制約」を招いたり(別の趣味趣向に重点を置いているのでクルマに経済的リソースを割く気にならないとか)、逆に「経済的制約」が「嗜好の変化」の呼び水になったりする(カネのかからない趣味へと次第に意識が向いていくとか)ということもあるだろう。
 いずれにせよマクロの傾向は、個人レベルでもいろんな要因が噛み合って、また集団としてもいろんな傾向が相互に影響を与え合って、その結果として生じるものだ。経済決定論や心理決定論は、しばしばそのような現実の複雑怪奇な連関を見落とす。いや、見落とすだけならまだいいのだが(制約を自覚してそれを研究や考察にフィードバックさえできれば)、困ったちゃんなのは「これこそが原因だ、だからこの原因を取り除けばすべては上手くいく」と思い込んでしまう場合だ。
 心理決定論に傾くと「若者が“健全に”クルマに興味を持つようになればすべて上手くいく」なんてことになるし、経済決定論に傾くと「とにかくカネさえ十分に回ればすべては上手くいく」なんてことになる。俺は基本的に再分配&ワークシェアリング派なのでどちらかと言えば後者の傾向があって、特にクルマ離れ云々については「そら先立つものが無いのが一番の要因じゃね?」と考えているのだが、一方ではあまりにも経済決定論に突っ走りすぎないよう少々用心もしている。