qad

反論

 意識の中に“他者”を宿してそこからの批判を想定しながら自分の文章を組み立てるのは、自分自身の論旨や思考の道筋を整理するという意味では決して悪いことではありません。また主張に際して「あなたはこう思うかもしれないけど、私はこのような理由でこう思う」という形で自分と異なる考え方との差異をはっきりさせるのは、読み手にとってもわかりやすい文章になることがよくあります。ただ、ここで書かれている「反論」は、恐らくそのような議論のブラッシュアップの契機とはまたちょっと違った、どちらかというと揚げ足取りとか一部を否定することで文章全体を全否定するような感じのものを指しているんでしょうね。