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おまえの望みを言え

 連載ブレイド話。


 第47話で相川始/ジョーカー以外のアンデッドが全て封印されてしまい、統制者の象徴たるモノリス(封印の石)が始の前に出現する。人間を滅ぼそうなどと微塵も思っていない始は統制者に向かって「やめろ、俺は何も望まない!」と絶叫するが、始自身の意志など何処吹く風、モノリスは無慈悲にも次々と世界を破滅させる怪生物・ダークローチを吐き出していった。
 このシーンについて、ジョーカーがバトルファイトに勝ち残った時にはジョーカー自身の意志とは無関係に統制者は世界をリセットするという解釈が恐らく主だと思う(私自身もそう思っている)んだけど、もしかして別の解釈も成立するんじゃないかという気がしてきた。
 どういう解釈かというと、統制者がバトルファイトの勝利者の望みを叶えるプロセスは、その勝利者が「私はこのような世界を望む」と統制者に向かって言明した内容に準拠するのではなく、勝利者が意識の中で潜在的に最も強く抱いている想念を統制者が読み取って実体化するという形で行われるんじゃないか、ということだ。
 これは先日タルコフスキー監督の映画『ストーカー』を観返していたので気付いたんだけど、タルさんの『ストーカー』や『惑星ソラリス』って、人間の潜在意識を読み取って何らかの形で具体化するモノが出てくるよね。『ストーカー』で言えばゾーンの奥にある“部屋”、『ソラリス』ならソラリスの海。でも、ソラリスの海は人の意識の中を勝手に読み取って強いトラウマの元になっている人物を作り出してしまうし、ゾーンの“部屋”は人間が「これが欲しい!」と意識的に願った望みを叶えるのではなく、潜在的に最も強く抱かれている想念を具体化する。主人公のストーカー仲間だった「ヤマアラシ」は、ゾーンに対して死んだ弟を返してくれと願ったのに、実際には大金が手に入ってしまった(つまり弟ではなく大金こそが潜在的に抱いていた「最も強い願い」だった)から、そんな自分の本性に絶望して自殺してしまった。
 実はバトルファイトの統制者も、『ストーカー』のゾーンと同じような願いの叶え方をしていたんじゃないだろうか。
 もちろん始は意識的に人類の滅亡など望むはずはなく、口ではああ言っているけど実は「みんな死んでしまえばいいのに」と思っていたというのもちょっと考えづらい。でも、始はしばしばジョーカーとしての強すぎる闘争本能と葛藤しており、基本的に最後までそれは変わらなかった。
 つまり統制者は、勝利したアンデッドの言明として勝利者の望みを聴き届けるのではなく、勝利者の抱く本能や衝動といったものを読み取り、その本能が欲望するビジョンを具現化するという形で望みを叶えていたのではないだろうか。そのため始が勝つと、人間社会の中でこの一年間過ごしていくうちに後天的に抱くようになった「人間と共に生きていきたい」という望みの方ではなく、ジョーカー=アンデッドとしての「先祖も子孫も無い、仲間も無い、ただひたすら戦いたい」という本能が統制者に読み取られて、そこから(論理的に)帰結される「全てが滅びるまでただひたすら戦い(=他生物への襲撃)を続ける」というビジョンのほうが“ジョーカーの真の望み”として具現されてしまう。こうして始は『ストーカー』の「ヤマアラシ」と似たような状態に陥ってしまったわけだ。
 ではなぜアンデッドたちの間では、統制者がバトルファイトの勝利者の「望みを叶える」という話が流布していたのか。想像するに、恐らくアンデッドにおいては本能的な欲望と勝利の暁に叶えられる望みとが完全に一致していたから、自分の本能的なビジョンが具現化したらそれ即ち「望みが叶えられた」状態であるとしか認識されなかったのではないだろうか。相川始のように自分の本能と真っ向から逆らうような“望み”を抱くアンデッドの出現なんて、アンデッドの世界では見たことも聞いたことも無い奇妙なことでしかないのではないか。中には嶋さんという変わり種もいるにはいるが、きっとあの人(アンデッド)は本能に逆らって戦いを忌避したのではなく、本能レベルで戦いを好まないというタイプなんだろう。