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可能無限

たまに自分の前職の同期の言動をぼーっと眺めていると思うのが、なぜ、彼らは人生において自分のスキルが「無限にレベルアップし続けること」が前提になっているのだろうか、と思う。レベル20ぐらいでカンストする時だってあるだろうし、ひょっとするとレベルダウンするときすらあるだろう。同期達が無能者として非難される既得権側の人間はたぶん、カンストしたり、レベルダウンしたりした人間だと思うのだが、その無能者のように君らがならない保障は一体どこにあるんだろうか。


レベルアップ幻想とか ─ Welcome To Madchester 2009/6/8

 レベルアップの天井がはっきり見えないから人間の能力向上をついつい可能無限のイメージで考えてしまうこと。さらにその可能無限が実際に人間に実現可能であるかのように“実体視”されてしまうこと。この二つの条件が満たされた時に「自分は無限に成長できる」と思いこんでしまうのかなあ、などとも思いました。
 あと年齢的な要因もあるかもしれません(上記記事の人の年齢は知りませんが)。まだまだ若くて体力もあり体にヘンな故障も生じていない年頃なら、身体機能が否応なしにレベルダウンしてしまう感覚が身体感覚として実感できないので、自分の頭や体のパフォーマンスがいずれ頭打ちになって坂を下っていかざるを得なくなるという宿命が感覚的になかなか理解できないのではないか、とも思います。