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制服・勲章の大伽藍

 もうずいぶん昔の話になるけれど、ミリタリーグッズ関連の雑誌*1第一次大戦から第二次大戦にかけてのドイツ軍の勲章(各種鉄十字章とかメリット章とか)を紹介したコラムが掲載されていて、その中でドイツ人の制服好き・勲章好きについていささかの揶揄と哀感を込めた紹介がされていたことがある。
 曰く、ドイツ人はどちらの大戦に際しても組織ごと・階級ごとに事細かに制服や勲章を事前に定めておき、見た目だけでも着用者の公的ステータスが詳細に判明できるようになっていたけれど、どちらかと言えばこの制服好きは、三越などの大型百貨店の包装紙に包まれているとそれだけで中の商品をありがたいものであるように思ってしまう、昔の日本人と同じような“田舎者”の感覚に近いのではないか、というのが趣旨だった*2。そして、事前に制服や勲章などといった細かいところについては怠りなくしっかり準備するんだけど、肝心のやっていい戦争とやってはいけない戦争の区別がつかないために最終的には敗北・没落してしまうというのがドイツ人について回る宿命だったのではないか、などといったことを上記コラムの筆者は記していた。
 このドイツ人観が妥当であるかどうかはさておくとして、それからだいぶ後になって、ヘーゲルドイツ観念論の大伽藍のような体系的世界観は、ドイツが政治的・社会的に英仏などに対して後れを取っていたという意識があったからこそ、せめて思想面では時代に先行したいという思いによって構築されたものであるという意見をどこかで目にした時にも、私が思い出したのはやっぱり“制服好きの田舎者”の話だった。あんまりギチギチに最初から全体の体系を決めないイギリス経験論やアメリカのプラグマティズムとは対照的なドイツ観念論の巨大体系が、組織・位階によって細かく分かたれたドイツ国防軍武装親衛隊の制服・勲章の体系とどこか似ているように思えてきたものだ。


 ……このあたりの話を見ているうちに、何となくそんなことを思い出したりした。

全てを手仕事で、ページの隅にまで気を配ったプロの原稿というのは、きれいな代わり、それは「紙」の形式でしか出版できない。参照ページは、「数字」として記載されるだろうから、判型が変われば全部やり直しだし、たとえばその原稿を電子化して、有償閲覧形式で配信しようにも、今度は参照ページだとか、索引を全部「リンク」に直さないといけないから、恐らくそれには手間とコストがかかって、実際問題、出版社で「電子書籍」に対応できるだけの体力を持ったところというのは、決して多くないんだという。
プロの人たちは、高品質な「プロの仕事」しかできないが故に、「雑な仕事」ができない。
(略)
恐らくは企業とか、あるいは国家にも、「品質で名前とブランドを形成する時代」のあと、どこかで「雑」と「多様」とにシフトをするタイミングというものがあって、そのタイミングを間違えて、「より高品質」に行ってしまうと、袋小路に入ってしまうんだろうなと思う。


「雑な物づくり」に未来がある ─ レジデント初期研修用資料 2009/11/19

「日本人は、細かいところまで完璧に作るので、ものづくりに適しているから強みがある」とか言う。しかし私の意見では能力差があってもそれはそれ程大きなものではない。賃金が10分の1の人たちがいれば、彼等は10倍の時間をかけて丁寧にやれば良いのだ。作業時間だけでなく製造工程の改良にも品質管理にも10倍つかえる。品質とは注意資源の注ぎ込みであり、賃金が安ければ幾らでも高くできる。おそらく、高品質というのは先進国に追い付く直前の、まだすこしだけ賃金が安い時代の国の特徴なのだろう。
(略)
▼ 20世紀のはじめあたり、万国博みたいなところで展示されたアメリカ製の銃にヨーロッパ人は驚いたと言う。二丁の銃を分解して部品を混ぜこぜにして、そこから組み立てることができたからだ。ヨーロッパ製の銃は一丁一丁手作りで部品を摺り合わせて作っていたのに、アメリカ製は規格化された部品を高精度で生産していたからだ。
というような話をだいぶ前に、20世紀の産業の歴史みたいな番組の中で見た。そのころ、私は アメリカ製品=低精度 みたいに思っていたので、ギャップに驚いた。また、そうでなくとも当時の先進地域のヨーロッパより精度が高いというのも理解しがたく思っていた。
いま、思い出してなぞが解けた。やはり高品質、高精度というのは先進国に追い付く直前の特徴なのだと思う。
……


これからの日本は、雑な物づくりだろうか ─ 最上の日々 2007/11/27

*1:手許にないので確認出来ないけど、確かワールドフォトプレス社から出ていた「PX」誌じゃなかったかと思う。

*2:後にソ連軍のジューコフ将軍か誰かの写真で、胸のところにやたら勲章がゴテゴテと派手に飾られていた(略綬ではなくメダル自体が大量にぶら下がっていた)のを見た時に、この話を思い出したりした。