qad

Flight of the Wild Geese

 映画『ワイルド・ギース』のレビュー記事で紹介されている、コンゴ動乱のエピソードより。

1873年ベルギー国王レオポルド二世の庇護の下、ヘンリー・モートン・スタンレーはコンゴ探検に乗り出した。1885年コンゴは独立国としてベルギー国王領になる。のちに原爆使用可能なウラン(世界の60%)がカタンガ州のシンコロブエ銅山で産出されることになる。そして、原住民を強制的に働かせ、ノルマを課し、ノルマを果たせなかったら手首を切り落とすという蛮行を行い、巨万の富を国王は手にした。
1960年総選挙に勝利し、パトリス・ルムンバ(1925−1961)によるコンゴ民主共和国最初の組閣が始まる(この時点でコンゴの原住民で大学卒業者はルムンバを含め一人もいなかった。ベルギーの歪んだ植民地政策が生み出したコンゴに対する最大の弊害はまさにココにあった)


ワイルド・ギース - SummaArs 藝術大全

 オープニングフィルムの背景に写った騒乱の光景は、形を変えながら今なお再生産され続けている。