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変わること

 メモ。

 ほんの数年前、Yahoo!がインターネットの入り口だった時代があった。今は、その入り口は54000台以上のPCで動作する検索サイト、Googleに変わっている。Googleに表示されなければ、そのサイトはインターネット上に存在しないのと同じだ。
 だけど、ほんの5年前に生まれたばかりのGoogleは、かつてはこんなに小さなお手製PCシステムだった。変わり続けるこの世界で、変わらず同じ位置にいるためには、変わり続けないといけないのだろう。赤ちゃんだったGoogleが1週間に400台近くサーバーを増やすというペースで大きくなり続けているように。


NEWS今昔物語「Googleも自分も変わる」編 (初出2004年4月00日) ─ hirax.net::inside out 2009/11/28

人間は基本的に変化していくものだ。
何年かたてば、その間にいろいろな人と出会ったり、経験をしたり、考えたり思ったりする。そうすると「ものさし」が変わる。自分は変わっていないつもりでも、気づかないうちに変わっている。そんな状態の中で、「昔と変わらない人」と出会ったということは、「今のものさし」に合うように、その人も変化をしたということだ。
何年もフリーで仕事をしている人のことは、尊敬する。
クライアントにずっと「変わらない評価」を受け続けるためには、「変わらない努力」が必要だと思うから。変わらない努力というのは、結局のところ変わる努力なわけで、今の状況に満足するなんてことはありえないはずだ。いつも人が変化している限り、自分も変化していかないと、取り残されてしまう。


変わらないことは、変わるということ。 ─ Mayunezu Space 2004/3/19

 変わり続けなければ同じ位置にとどまることすらできないという観念は、常に死に物狂いで無限に努力を続けないと最低限の生活や生存そのものすら確保できないという新自由主義と“自己責任”のゼロ年代を思わせる感じで、微妙に違和感を覚えるところもありますが、一応。
(変化を否定するということではなく、むしろ避けられず変化するものに対して同一性の維持を規範的に要求することに由来する違和感なのかもしれませんが)