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「ゆりかご」の真意

 Wikipediaをパロディ化した冗談百科事典サイト「アンサイクロペディア」に記載されているツィオルコフスキーの説明は、冗談にしては結構真面目な内容になっている。

……ロシア帝国は財政等で逼迫しており、彼の理論に注目を寄せることはなかった。ツィオルコフスキーはその原因の一つは、多くの人に「宇宙へ行く」という願望がまだ植えつけられていないからだと見ており、そのため人類が宇宙空間に出ることをまるで必然であるかのごとく錯覚させるような、キャッチコピーを広める必要があるのではないかと考えるようになった。そして生まれたのが以下の二つのコピーである。


  • 地球は人類のゆりかごだが、ゆりかごに人類がとどまり続けることはないだろう
  • 今日の不可能は、明日は可能になる



このうち前者は特に重要で、「地球という母親から独り立ちしてこそ、初めて人類は生物的に一人前ではないか」と人々(主に科学者)に錯覚させることに成功した。実際には別に地球上の生物が地球から外へ出て行く必要性などないのだが、この言葉に惑わされた人々は宇宙開発に陶酔するようになっていった。


アンサイクロペディア「コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー」の項

 19世紀後半から20世紀前半にかけて、帝政ロシアの近代化・工業化からロシア革命を経てソビエト体制が確立するまでの時代を生きてきたツィオルコフスキーは、当時のロシアの時代精神を自らの思索に強く刻みつけ、近代的・合理的な科学技術志向と有機論哲学とが神秘主義的な形で結合した宇宙観・文明観を終世抱き続けていた。だが現在ツィオルコフスキーは、合理的な科学技術の視点から現実的な宇宙ロケットの基礎理論を確立した「宇宙ロケットの父」「宇宙開発の父」として広く知られている一方で、上記のような「地球から人類が自立する」という気宇壮大なビジョンのそもそもの源泉となった神秘主義的な宇宙観については、あまり語られることがない。
 ツィオルコフスキーは自らを厳格な唯物論者だとしており、それはそれで決して誤りではないのだが、彼の宇宙観においては、様々な物質(厳密にはその構成単位たる原子)が互いに密接な連関を持ちながら永遠の合従連衡を繰り返す“生きた全体性”として宇宙が捉えられており、生命はその中で原子同士が特殊な結合を行って人間という理性を生み出すことにその意義を持つ。ただし、個々の生命の意義は基本的に大した問題ではなく、脳を形作る原子の永遠性によって既にこの宇宙で永遠の生命を得ているとされる。
 人間が宇宙に飛躍すべきであると彼が考えるのは、この理性が無限に拡張していくというビジョンに由来する。

 わたしたちはまた、生命が最高に発達したのは地球だと考えがちである。だが、地球上の動物と人間が生まれたのは比較的新しく、それはいま発達段階にある。太陽は生命の源として今後まだ数兆年は存在し、人間はこの想像もできないような期間に前進し、肉体、知性、道徳、認識、技術力を進歩させていかなければならない。その先に待っているのは輝かしい、想像もできないようなものである。数十億年が過ぎたとき、地球上には現在の植物や動物や人間のように不完全なものはなにもないだろう。よいものだけが残るのだ。理性とその力がわたしたちをそこへ不可避的に導いていく。……


ツィオルコフスキー「宇宙哲学」、S・セミョーノヴァ、A・ガーチェヴァ編著『ロシアの宇宙精神』西中村浩訳、せりか書房、1997年、p.284)

 唯物論有機体哲学の結合によって構想される千年王国のビジョンとでも言おうか。「ゆりかごに人類がとどまり続けることはない」とは、単純にボストークソユーズやアポロで宇宙に飛び出すというだけの意味ではなく、人間は狭い地球にとどまることなく太陽系や他の銀河に植民して無限に拡張し続けることによりいくらでも無限に進歩し続けるという、彼の進化論的な確信を指しているのだ。