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ところ変われば……

 マレーシアで起きたという、ちょっと気になる話題。

「キリスト教徒「アラー」使用…イスラム教徒猛反発」(2010/1/9)


 マレーシアの裁判所が昨年末、キリスト教週刊誌に神の訳語として「アラー」の使用を認める判決を下したことに対し、多数派のイスラム教徒が反発を強めている。
(略)
 イスラム教が国教のマレーシアでは、国民の6割がイスラム教徒。政府は「アラー」の使用はイスラム教徒に限られるとして、昨年1月、カトリック系週刊誌「ヘラルド」マレー語版について、「アラー」の不使用や、キリスト教徒のみへの頒布を条件に1年間の発行を許可した。だが、キリスト教の神もマレー語で「アラー」と訳される事例もあるため、発行人の大司教が昨年2月、発行条件の解除を求めて政府を訴えた。
 裁判所は昨年12月31日、「アラー」使用について憲法の「信教の自由」規定を根拠に「イスラム教徒への布教目的では違法だが、キリスト教徒への教育目的なら合法」と判断、「イスラム教徒を惑わす」とした政府主張を退けた。だが、イスラム教徒の猛反発もあり、政府は今月4日、上訴した。
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http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100109-OYT1T00974.htm

 もともとアラビア語の「アラー」は特定の神様の固有名ではなく、「God」と同じように神を表す一般的な名詞なのですが、マレー語で外来語彙として使用されているのであれば、固有名詞と同じようなニュアンスを帯びている可能性はありそうです。特にイスラムではコーラン(クルアーン)の翻訳版が正典としては無効とされているなど、アラビア語に特権的な地位が付与されているところがあるので、外来語彙の「アラー」もイスラム文脈では通常の「神」と異なるニュアンスを持っているのかもしれません。

 そもそもイスラムで神の固有名が無いのは、イスラムに複数の神がいないので識別用の固有名が端的に不要であるからなのでしょうが、キリスト教やその他の宗教との“棲み分け”が問題となるような局面においては、他の宗教セクターから明確に識別・アイデンティファイされ、かつ自らの領域内で特権的な意味を持つ独自の“神”識別語が不可避的に必要とされるのでしょう。そのような場合、従来から使用されてきたアラビア語の名称「アラー」は、イスラム内部における規範的コンセンサスがあり、また対外的にも外来語の固有名として機能しうるという点で、イスラムの神を示す事実上の固有名詞として伝統的にも実質的にももっとも適切であるとムスリムに見なされている可能性があります。
 ただ、イスラム・アラブ内部では旧約・新約聖書の神も同じように「アラー」と呼ばれていたはずであり、この点にはマレーシアのムスリムアラビア語ネイティブではないという事情(それ故に「アラー」がムスリム内でも外来語的な固有名詞としてのニュアンスを強く帯びている?)も複雑に絡んでいるのかもしれません。

 ちなみに外来語としての「アラー」が固有名詞のニュアンスを強く帯びるのは日本語でも言えることで、「アラーの神様」という重畳的な言い回しもあったりします。川内康範氏が『アラーの使者』というタイトルにどの程度の固有名詞的(または普通名詞的)ニュアンスを込めていたのかは知りませんが……